F-5E/F of 5AG (Taoyuen Air Base)
第5大隊
5th AIR GROUP
1981年突然 何の予告も無く会社「来月から台湾に行ってくれ」との辞令を受けた。中国語の研修も無く10日後には台湾に赴任する事になる。就職して関東を離れ大阪/名古屋と転勤して、今度は台湾ですか・・・台湾は準戒厳令下に在り、飛行機の写真を撮る事など御法度の国である。遂にこれで俺の楽しみも当面お預けだ、なんて思いながら台湾に向かった私のカバンには200mmレンズが忍ばしてあった(実に往生際の悪い野郎である)。台湾の国際空港に着いて迎えの車に荷物を積み込む時、突然キューンという旅客機らしからぬ音が聞こえたので目をやると、何とF-5Eが4機もオーバーヘッド/ブレークですぐ横に降りて行くではないか。この瞬間、ちょっと忘れ掛けていた軍用機への執着が蘇り、私の心に台湾空軍への執着が芽生えた。中正国際空港と平行して台湾空軍の大きな空軍基地が有ることが判明、何れは青天白日旗を付けた戦闘機を必ず撮ってやるぞと誓ったのである。(そんな大げさなことか?・・)桃園市大園にあるこの桃園空軍基地にはRF-104の部隊の他 F-5Eの実戦3飛行隊が所属していてフライト数も多い基地であった。(2002年6月 記)
17 TFS
スクランブル用のハンガーを覗くと、その奥のエプロンに駐機しているF-5Eが見えた。光が良い具合に当たっており空かさずショット!
Wings
大隊徽は、頭に羽根を生やした”虎”であり 私は当初シェンノート将軍のフライングタイガースと何らかの関連のある部隊か推測したが、調べてみると案の定「中美混合団」としてアメリカ軍と共同戦線で戦っている様である。部隊は1936年浙江省で生まれ、アメリカ製HawkU.Vを使用していた。後にイリューシンI-15/16に更新するが、進出してきた日本海軍の零式艦上戦闘機との性能の差は歴然としており、この部隊も成都防空で大きな損害を被っている。1943年ごろP-40を受領し1945年頃にP-51D/Kムスタングも戦列に加わっている。台湾に移動して桃園を本拠地とした際は、P-47サンダーボルトに機種転換しており、この時点で17/26/27の3個中隊と言う現在の編成になったようだ。台湾海峡での大陸中国との戦いにおいては、位置的にも活動の中心的役割を負っておりMig撃墜など戦果を挙げている。この中には後に新竹基地の第499聯隊長となり、最終的に空軍総司令ともなった林文禮大将もいた。
現在は、高い塀で基地の外周を囲むようになったが、以前は所によっては柵さえも無かった。ある日 私はCCK-FOX君と桃園でF-5を撮ろうと降りのポイントに向かった。そこは、水田地帯である。朝早く そのポイントにいると盛んに林の奥から戦闘機らしき機体のテーク・オフする音が聞こえる。少し 林の中に入って先まで行ってみようと歩き出した。林を越えるとまた田んぼ、田んぼの先にまた林である。音はすれど姿見えず さらに進むと 突然 下の光景(↓)にぶつかった。「うあ〜!すげ〜!」夢中でシャッターを切ってしまった。しかし しばらくして冷静に考えてみると 柵が全く無い。CCK-FOX君曰く「ここは水田だが軍の用地、農民は許可を得て耕作いているんだ」私「・・・・ ヤバイ!」 早々にここを脱出である。翌年のオープンハウスの際 我々は、エプロンの機体を撮影した後 直ぐに向かったのがここのランウェイエンドの直ぐ脇である。絶好のポイントであり OH時であれば 見つかっても問題はないと判断した為だ。1999年桃園基地は外周にレンガつくりの高い塀を完成させ 今はこのポイントも消えた・・・・突然
Burner On!Take off・・
5AG’s Insignia on tail of F-5E & F-5F ib 1993
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26 TFS
27 TFS
Insignia
401TCWは,F-5Eの部隊として長らく部隊マークを入れる事はなかったが、1992年以降大隊徽を尾翼に描き始めた。
Insignia of 5th AG
1993年当時は、各戦闘機中隊のパイロットは、当時の航空自衛隊と同様 エンジのフライトスーツだった。台湾も4方を海に囲まれており 演習のレンジも殆ど海上であるため これらのスーツを使用していたが 1994年よりは、一斉にグリーンのスーツに変更された。現在もオープンハウスなどで説明員として出る時には、このエンジのフライトスーツを着用する。
天空的戦士
右写真は、桃園基地の概容であるが、上が聯隊本部などが集まっている建物群、下は第27戦術戦闘機中隊のOfficeより タワーの方向を望んだものだ。白い屋根の大きな格納庫の上に官制タワーが見れる。桃園も殆どシェルター運用の為 これら格納庫に入っている機体は整備が必要な機体だけ担っているようだ。
あの時の感動が忘れられず 桃園空軍基地の航空祭の時にエプロンの展示機を撮る前にこのポイントで デモフライトに向かうF-5Eを撮ることとした。手前の水田には植えつけられて間もない稲が風に揺れる。
台湾の航空マニア達と私は、1つの約束事をしている。それは、絶対にタキシングの写真を公式に発表しないと言う事である。台湾の航空マニア(航空迷)達は、撮影のチャンスに恵まれていない公には写真撮影を認められていないからである。しかし その情熱は、日本のマニアにも負けないほどで最近は海外渡航も自由になって 日本/アメリカ/ヨーロッパと遠征している。彼らにとってもタキシングが撮れるポイントは非常に貴重であるからで 失いたくないのだ。だから タキシングの写真はOH以外雑誌等には投稿もしない。したがって 本HPに掲載しているタキシングの写真は、彼らの了解に基づき既に撮れなくなった”失われたポイント”のみである。加えて場所の限定も極力記載しない様にしているのでご了承願いたい。
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何とこのページの写真が多数、中国空軍ネット(中国空軍網 WWW.PLAAF.NET)に盗用されておりました。大陸の関係者も結構私のホームページをてるみたいですね。某国の事ですから 何を言っても無駄でしょうが・・
(1993)
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The Period of F-5E/F
(1993)
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